ウェーブロックホールディングスを支えるTEAM Wavelock。
仕事と向き合い、人と技術・素材の可能性を探求しています。
2020年から、未来を描くための社員インタビュー。
vol.1 歴史ある1号機と共に |
2020年4月 |
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ウェーブロックホールディングスの基幹事業であるマテリアル事業。その製造の大きな柱が、茨城県古河市にある株式会社イノベックス古河工場だ。古河工場の産業資材部門では、フィラメント糸や基布と合成樹脂シートを積層する複合加工技術を駆使してシートやフィルムの製造を行なっている。その加工製品は、建設工事現場、商業施設、医療施設、農業の現場などで活用されている。また包材部門では、ポリプロピレン、ポリスチレン樹脂等の加工を行ない、食品包材やパッケージなど幅広い形状の製品を製造している。
この日は、産業資材生産部のM.FさんとN.Eさんに、ある機械を見せてもらった。お二人は、それぞれ勤続38年、37年のベテランだ。
「私たちより、まだ先輩もいるので、その方たちの話を聞いて欲しいんですが」と、N.Eさんの控えめな語り口で取材が始まった。
ウェーブロックホールディングスの社名は、ウェーブロック®製法に由来している。プラスチックフィルムの間に、合成繊維の糸を波状(wave)に複数配列し、接着固定(lock)してサンドイッチ構造にすることで、シート製品の物理的強度を大幅に向上させるというもの。創業時にイタリアTCM社のブルーノ・ロマーニン氏より譲り受け、日本に持ち込んだ技術だ。古河工場の1号機は、その歴史を現在に残している。
− 創業当時から、1号機があったのですか?
M.F はい。前身の会社が1964年に設立し、最初の機械として1号機が来たんです。前会長がイタリアから機械と技術を持って来たんですね。
− 1号機は、現在も稼働しているのですか?
M.F そうです、現役です。1号機を動かすのはひと月に2、3日ほどあります。
− 1号機をはじめ、工場で製造している製品を教えてください。
N.E ラミネート加工を行う機械が複数あります。1号機はカッパやレインコートになるシートの製造です。別の機械では、ビニールハウス用の糸入りの透明シート。病院などで使われる縦型のブラインドカーテンになるシートを作っています。
M.F メルト加工の機械では、工事用の足場の周りに囲う白いシートや、防音効果のあるシートを作っています。
− M.Fさんは1982年、N.Eさんは1983年に入社されましたが、当時の工場はどんな雰囲気でしたか?
M.F 当時は、とにかく若かったです、工場も若かった。社員の平均年齢も20代後半だったんじゃないかと思いますね。想像してもらえばわかると思うけれど、活気がありました。
− 初めにどんな業務に携わりましたか?
N.E 私はメルト加工の機械に配属されました。工事用シートの製造、素材からシートを作っていく仕事です。一通り機械を回せるようになるまでに、4〜5年はかかりましたね。この機械は、1チーム5人で稼働しています。チームには新人もベテランもいて、いくつかのポジションをローテーションしながら、それぞれの仕事を勉強する。最後に行き着くところは、オペレーションといって、機械を管理するポジションですが、そこまで行くには色々と大変でした。
M.F 機械の5箇所の担当を1年で1つ覚えれば、約5年でオペレーターになれるわけです。ただ、オペレーターはチームのリーダーでもありますので、人を束ねる力もなければ、折り合いがつかない。ある程度のキャリアも必要です。
N.E 技術もやんわりと教わっていたわけではないんです、30年も35年も前のことですから。覚えるのも大変でした。
− 仕事は見て盗め、ですか?
M.F それもありましたね。怖い先輩だっていたもんな。(笑)
N.E 厳しい先輩に教わりながら、厳しく製品の品質管理もする。苦労はありましたね。
M.F 私も、N.Eさんと同じ機械の仕事から始めました。同じように先輩がいて、そこから後輩ができて。人間関係には恵まれましたね。
− 苦戦したのは、どんなところでしたか?
M.F オペレーションの仕事ですね。私は周りが全員先輩で、自分がオペレーションをやることになったので、なかなか気も遣ったけれど、先輩たちは任せてくれました。
それから、材料から製品にするということですね。全くの別物にするわけです。樹脂のコンパウンドから工事用シートにするまでのオペレーティングが、初めて思い通りにできたときは自分でも嬉しかったですよね。シートの厚みを合わせるんですが、最初は当然うまくできないこともあった。それが、一発で思い通りにコントロールできたときには嬉しかったですね。
− やりがいがあったから、仕事を続けてこられたと思いますか?
N.E そうですね、今まで続けてこられたからね。あとは、先輩にも後輩にも恵まれたと思います。厳しくも教えられたけど、よく面倒もみてもらったんです。そういう人間関係もあったから、今までやってこられたんじゃないかと思いますね。
− 仕事をするにあたって大切にしてきたことは?
N.E 前会長がよく言っていたんですが、他人には迷惑かけないようにと。職場は集団生活ですよね、そういうときに周りの人に迷惑をかけないようにということはよく言われました。例えば、チームで仕事をしていると、当日欠勤が出るというのは大変です。何十年間働いてきて、自分はそういうことが滅多にないようにしてきましたし、今でも最低限のこととして努めています。
M.F 私は、報告書や機械の対応、何事も嘘はつかないようにして、悪い情報は早く報告するように心がけてきました。故障や不良が出ないように、機械を自分の子供のように大事に扱う。なかなか完璧にはできませんが、継続は力なりというか、コツコツやっていくしかないと実感しています。
− 古河工場の誇れるところは?
M.F 今日見てもらった1号機がいまでも現役で動いていることですね。それが50年以上続いて、製品もまだ必要とされているのは誇れることだと思います。
N.E 私も同じようになりますが、機械が50歳を超えていても、メーカーさんのご協力や社員の努力もありながら、メンテナンスしながら、動かせていることですね。今時の機械ではないので、スイッチを入れれば同じような物が出てくるものではないです。大変は大変ですが、その機械がまだ活躍しているということですね。
− お二人の、これからの目標など聞かせてください。
N.E ありきたりかもしれないですが、若手の育成ですね。幹部候補生を育てていきたいです。
M.F 後輩に教えていくことですね。自分はそんなに大した技術は持っていないですが、後進の育成をしていきたいという想いはあります。やっぱり、若い人が仕事をできるようになると、ちょっと嬉しいんです。ああ、こういうことできるようになったんだなと、プチ喜びでもあります。一つひとつ増やしていきたいと思います。そういう風に働きながら、お客様に対しても新しい製品を届けていけたらと思っています。
機械は人がいてはじめて動かすことができる。時間をかけて、手の感覚を覚え、目や耳で感じ取り、品質を守る技術になっていく。古河工場では、製造に携わる一人ひとりの持つ技術が後輩へ受け継がれていた。その実直な仕事の積み重ねが、これからの私たちの製品・サービスを支えていくのだ。